ぼくたち、わたしたちの未来、勉強中です!

事務局

5月11日、東京都市大学横浜キャンパスで行われた、最初の説明会と会議に、新しくジュニア記者になる人たちが集まってきました。今年度は、58名もの小学4年生から高校生までのジュニア記者が、新たに誕生しました。

ジュニア記者の活動の目的は、「まちのことを知り、まちを好きになる」「まちのイベントに興味をもち、まちの人たちと知り合う」ことです。それから記者の活動の中で、みなさんには、取材することで「まちの人との交流、コミュ二ケーション力」を、記事を書くことで「表現力」を身に着けてほしいということをお話ししました。それから記者の心構えや記者に必要なものにについて簡単な講座を行いました。 そのあと、みなさんの興味のある分野、企画部、社会部、文化部、国際部のグル―プに分かれて、いってみたい取材先や、やってみたい企画について出しあいました。みんな活発にアイデアを出していました。これから、なるべくジュニア記者たちの行きたいところに取材にいけるように大人スタッフと学生さんで話し合い、調整していきたいと思います。

最後にNOTAというコミュニケーションツールの講習会をしました。これをつかって、記事を書いたり、記者同士の交流もしていきます。 NOTAについてはこちら http://nota.jp/ja/

昨年度、ジュニア記者として活躍してきた5期生の修了式が、東京都市大学で行われました。     東京都市大学の中村雅子先生より、修了証が渡され、それぞれの記者が「取材がたくさんできた」「多くのまちのことを知った」など、1年を振り返りました。中村先生から「いろいろな事情で今回でジュニア記者を卒業する人もこの経験を活かしていってください。そして高校生まで参加できるので、またぜひ戻ってきて参加してください。」とお話がありました。 最後にみんなで記念撮影!1年間おつかれさまでした!! サポートしてくれた大学生のみなさんと一緒に記念撮影!

バルセロナのサグラダ・ファミリア主任彫刻家の外尾悦郎さんの講演会が 4月9日都筑公会堂で行われました。 今回約600人入るホールは満席。主催者側の意向で、子どもたちが招待され、講演会を聞くことができました。講演会の後半には、質問ができる時間があり、ジュニア記者たちもいくつか質問しました。

記者の「もしも外尾さんが横浜になにか建築するとしたら何をつくってくれますか?」という質問に会場が沸きました。 外尾さんは「いっしょにかんがえようか?」とやさしく答えてくださいました。 また「どのようにしたら、外尾さんのように 命がけで仕事できますか?」という質問には「命がけじゃなくてもいいんだよ。一生けんめい仕事できれば」と, 「スペインでいちばんおいしいと思ったものはなんですか?」などの質問には「ワインやパエリアなどおいしいものがたくさん」と答えてくれました。 講演会が外尾さんといっしょに記念写 真を撮らせていただきました。 外尾さんは「いつかバルセロナに来くださいね」と子どもたちに声をかけてくれました。

最後に世界的に有名な日本人、外尾さんといっしょに記念撮影をしました!

石巻日々こども新聞の記者と、つづきジュニア編集局の記者との交流は2012年からはじまりました。昨年2013年の11月30日~12月1日にジュニア記者たちが、石巻を訪問し、石巻のこども記者たちとシンポジウムを行った際、参加者のひとりである、千葉拓人くんが関東で写真展をやります、と話してくれました。そこでせっかく関東で行うなら、横浜でもできないのかとお願いしたところ、こどものまち「ミニヨコハマシティ」を行う会場になる、住宅展示場ハウスクエア横浜で写真展「ツタエル」の開催をすることができました。期間は3月21日~31日までの十日間です。写真展は好評で、期間中には、遠くからわざわざ見に来ていただいた方も多数いらっしゃいました。  

さらに3月25日には、千葉くん本人が写真展会場である、ハウスクエア横浜1Fのシェアリーカフェを訪れてくれて、トークイベントを行いました。 トークイベントでは、写真の解説や、そもそもどうして写真をとるようになったの?現在思っていることは?これからのことなどをお話してもらい、ジュニア記者からや会場からの質問にも答えていただきました。 千葉くんは、10万点もの写真をとっています。「これからも復興する石巻を撮り続けていきたい」と話してくれました。これからの活躍が楽しみです。  

千葉拓人くんの写真展について詳しく知りたい方はこちらをご覧下さい。 http://kodomokisha.net/chibahiroto/

ジュニア記者になって、活躍してみませんか? 記者になると、普段はいけないような取材にいけたり、違う学校のおともだちもできます。

ジュニア記者になれる人 ◆ 2014年4月時点で、小学4年~高校生の方。 ◆ 2014年5月~14年3月まで、年間を通しての編集(へんしゅう)会議 (かいぎ)や取材に積極的(せっきょくてき)に参加できる方。… 続きを読む

11月12日。私たちジュニア記者は市内にある、「野村総合研究所」の横浜第二データセンターを取材しました。 データセンターとは、たくさんのコンピュータを安全に動かすことができる施設です。地震や停電が起きてもコンピュータを動かし続けることができるような設備が整っていて、大事な情報をたくさん扱っています。どのような設備かというと、たとえば、建物には地震などの大きな揺れからコンピュータを守るためにゴム素材の器具を地下に設置していて、地震が発生して動いてもまた元のように戻るそうです。東日本大震災の時でも数センチしかずれず、もとに戻ったそうです。もしも電力会社からの電気が止まってしまっても、「自家発電機」が3台完備されていて、燃料の補給が無くても、数日間はデータセンター全体が必要とする電力を確保できます。 またとてもセキュリティが厳しく、社員であったとしても、携帯電話など、金属は持って入ることができず、飛行場にあるようなセキュリティーゲートを通らなくてはいけません。そして廊下は真っ白で、ドアがどこにあるのかもさえもわかりません。防犯カメラも施設全体で合わせて数百台設置されてあるそうです。 特別にこの施設の核である「サーバールーム」を見せてもらいました。この部屋の床は1メートル四方に1トンの重さがかかっても壊れないそうです。消火器もここにあるものは違います。通常は粉末の物が多いですが、ここのものは純度の高い水を使った消火器で、万が一火災があったときに消火器を使っても、機械が壊れにくいようになっています。大切なデータを守るためのたくさんの配慮が感じられました。

「野村総合研究所」(通称:NRI)は、1965年に設立された旧「野村総合研究所」(当時の社員は130人)と、1966年に設立された「野村コンピュータシステム」(当時の社員は100人)が、1988年に合併して生まれました。合併の翌年には売上が1000億円を突破、その2年後にはグループ社員数も2000人を超えています。現在では合併25周年を迎え、アメリカ、ヨーロッパ、中国・アジアの海外拠点を含めたグループ社員数は8000人、売上も3700億円を超えています。 NRI【野村総合研究所】は主に2つの仕事をしています。1つ目は企業や社会の課題を解決するためのコンサルティングです。日本だけでなく、海外でも、どのようなものが売れるのか、社会に必要とされているのかをリサーチして、企業が国内外でどのように事業を進めたらよいかという提案などをしています。 2つ目は情報システムを通じて、社会がスムーズに動くためのお手伝いです。コンビニなどのお店の注文をさまざまな工場に伝え、作った商品をすばやくお店に届けるためのシステムや、証券会社で株の取引をするためのシステムなどを作っています。 コンピュータを人のために使い、そのおかげで人が楽になるという発想で情報システムを手掛けるNRIは、私たちの身近でもたくさん活躍していることがわかりました。… 続きを読む

 バスケットの試合を見たことがありますか?バスケットの迫力やエンターテインメントさは、会場に足を運んでこそわかります。ジュニア記者たちは、都筑区内の横浜国際プールで多くの試合を行っている、横浜ビー・コルセアーズの試合を取材させてもらうことができました。 続きを読む

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