ぼくたち、わたしたちの未来、勉強中です!

桜木町のすぐ近くの海に浮かんでいる、日本丸(にっぽんまる)の取材へ行きました。
日本丸は1930年に進水した、船員を養成する練習船です。年齢でいうと93歳。今では横浜で保管され、国の重要文化財になっています。国の重要文化財ではありますが、誰でも見学ができます。

案内していただいたのは二等航海士の齋藤さんです。
最初に案内してもらった場所はウイングです。ウイングとは艦船橋の側面にある台です。主に着岸する際に、船を岸にぶつけてしまうと危ないので船員が確認したり、陸地の目印を確認したりするための高台です。ウイングにはジャイロコンパスが設置されていて、陸地の目印の方位を確認することで船がどこにいるかがわかるものです。

次に艦船橋のなかに入ってみると、なかには舵輪、レーダー、国際信号旗、伝声管、コンパスなどがありました。舵輪をハンドルのように回転させることで舵を取ることが出来ます。日本丸はエンジンと帆の2つがついていて、使用する方法によって使う舵輪が違います。エンジンで操作する場合は、艦橋にある舵輪を使います。一方、帆で操作する場合は船後方にある舵輪を使います。帆で操作する舵輪が後方にある理由は、後ろが一番帆の状態が見えるからです。

レーダーは陸地や別の船に電波を送信して、反射波が戻ってきた時間で距離を測定します。伝声管は機関室と連絡を取ってエンジン出力を調整します。斎藤さんによると、「船は急には動けない、止まれないので機関室に早いうちに連絡して出力を調整する」とのことです。国際信号旗は、様々な種類の旗があり一つ一つ意味が違います。この旗を掲げることで周りの船に意図を示したり、救援を求めたりすることができます。
次に船側面の救命艇を見せてもらいました。斎藤さんによると「タイタニック号の事故後を契機に、客船は船の片側、船の右側の救命艇だけで乗員全員が乗れる数になっている」とのことです。

次に船首部分。船首には常用の錨が2つ、予備の錨が1つあります。現代の船は錨を吊り下げて問題ない船がありますが、日本丸は吊り下げてはおけないため、甲板上に引き上げます。ここで注目してもらいたいのが錨のチェーンを引き上げる装置です。蒸気で動作するのですが…なんと動力があればまだ動作するんです!昔の機械のため、仕組みがシンプルなので長持ちするのです。
この装置以外にも日本丸には航行時から変わってない物がたくさんあります。機関室の火災用のスプリンクラーや天井取り付け型の扇風機なども、(今は空調もありますが…)昔から変わっておらず今も使えます。

では、船の中での学生の居住区を紹介します。部屋は1部屋8人で狭いですが、この部屋のなかで学生たちのコミュニケーションがありました。部屋は誰でも見学することができ、ベットを見てみるととても綺麗にたたんであります。これはシーマンシップという言葉があり、身なりを綺麗にしておく訓練の一環です。


そんな日本丸ですが苦い記憶もあります。第二次世界大戦中は帆走艤装を外され、大阪湾、瀬戸内海で石炭を輸送していました。戦後は海外在留邦人を日本に帰国する、引揚者の輸送に従事したり、遺骨収集なども行いました。そして1984年、日本丸(初代)は退役し、1985年に現在の”日本丸メモリアルパーク”に引き渡されました。
ここに書き切れない日本丸の魅力が、まだまだたくさんあります。この記事を読んでいるあなたもぜひ日本丸を見学してみてください!
記事:  加藤昴

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