ぼくたち、わたしたちの未来、勉強中です!

12期生

2021年2月28日にこどもメディアシンポジウム2021 in Yokohamaを、横浜市市役所新市庁舎のアトリウムで実施しました。 緊急事態宣言が解除される予定だったのでそのまま進めていたのですが、3月に延長となり、オンラインをかなりの部分で導入し、YouTubeライブ配信をするなど、工夫を凝らしてなんとか実施できました。

ライブ配信のようすは現在も公開中です。

午前中から準備するこどもたち

記者は会場に12名、オンラインで3名、そして石巻日日こども新聞と四街道市こども記者クラブもオンラインでの参加となりました。

プログラムは以下です。… 続きを読む

つづきジュニアタイムズ12号が発行されました。 こちらから記事をごらんください。

つづきジュニアタイムズの印刷は横浜読売会 つづきジュニア編集局2020年度はアイネット地域助成財団に支援をいただいています。

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「ショコラボ」は、センター南駅から徒歩15分くらいのところにあります。取材をしたのは全部で3か所。工房と、箱詰めをするための部屋(マンションの中にありました)と、お店です。工房では、障がい者の方々が働いていました。

「ショコラボ」という名前には、チョコレートを意味する「ショコラ」と、「コラボレーション」の意味が含まれています。また、「コラボレーション」にも、「健常者と障がい者のコラボレーション」「プロフェッショナルと障がい者のコラボレーション」という2つの意味があります。これは、会長である伊藤紀幸さんの大切な想いです。 伊藤さんには、障がいを持った息子さんがいるそうです。障がいのある人が仕事をしても安いお給料しかもらえないのを知って、息子さんが大人になった時、障がいのある人でも生き生きと働けるような会社を作ろうと考えたんだそうです。伊藤さんは当時、銀行で働いていましたが、会社勤めを辞めて、会社を作るために10年もかけて(すごい!)準備して、不動産などの仕事でお金を貯めました。

最後の4年間は、どんな会社にしようか、とても悩んでいたそうです。そんな時、居酒屋ワタミの会長さんに言われた「頭で考えたことは失敗したが、心で感じたことは成功した」という言葉が心に残りました。そのことを奥さんに話すと、「パパはチョコレートが好きだから、チョコレートを作れば」と言われ、チョコレートの会社を作ることに決めたそうです。

工場では、チョコレートをすべて手作業で作っています。一番大変な作業は、「テンパリング」(溶かす)という作業で、ずっとチョコレートをかきまわしているんだそうです。その後、型を使って色々な製品を作っていきます。

ショコラボの基準はとても厳しく、大きさが違ったり、チョコレートが少しでもブルーミング(白っぽくなってしまうこと)してしまっていたりすると、商品として提供できず、アウトレット品になってしまいます。僕はアウトレット品になったものを味見させてもらいました。こんなにおいしいのに、一般の商品として販売されないことにとても驚きました。

チョコレートを作る際に一番大切にしているのは、食感なのだそうです。カカオ豆から作るBea to… 続きを読む

横浜の山下公園の向かいにある、ホテルニューグランドに取材に行きました。 私は、映画「ツナグ」のロケ地として、その美しく立派な内装と家具を映像で知っていたので、ホテルニューグランドは憧れの場所でした。いつかこの素敵なホテルに行ってみたいと思っていたので、取材の前日から楽しみでウキウキしていました。 ホテルニューグランドは、大正末期に建設がスタートして、1927年(昭和2年)に開業しました。当時は本館のみで、横浜港に船で来た外国からのお客様が多く宿泊していました。このホテルは戦争の空襲のなか建物が残りました。そのため終戦後マッカーサーなどアメリカ軍の宿泊に使われる事となりました。その時にホテルの資料などはアメリカ軍に持ち出してしまったため、開業から戦後までの事があまりわからないそうです。

このホテルでは、戦後いろいろな食べ物が生み出されてきました。ドリア、プリンアラモード、ナポリタンです。ドリアは、なんとこのホテルに泊まりに来たお客様が体調を崩して「喉どおりの良いものをください。」といわれたとき、生み出された料理です。 体調の悪いお客様のためにわざわざ新しいメニューを作るなんて、めったにない親切な対応だと思いました。 私は、ホテルニューグランドの取材で、ホテルニューグランドの歴史の長さや、おもてなしの良さを知ることができました。次はホテルに泊まってその良さを生で感じてみたいです。

取材&記事:田岡優月

ホテルニューグランド https://www.hotel-newgrand.co.jp/

ホテルニューグランドが開業したのは、昭和2年(1927年)12月1日。当時は関東大震災によって莫大な被害を受け、東京の一部になるという話もあったなど、崩壊寸前だった横浜に希望をもたらしたのがホテルニューグランドでした。日本好きだったチャップリンや、日米野球で来日したベーブルース、マッカーサーなど、さまざまな有名人も宿泊した横浜のシンボルといえる存在です。

そしてホテルニューグランドのシンボルマークは、震災を乗り越え復興した横浜の象ちょうにふさわしいフェニックス・不死鳥です。現在のホテルニューグランドは、タワー館(1991年)が完成し、進化しつづけています。タワー館の最上階にはチャペルがあり、多くの人が結婚式を挙げています。

また、ホテルニューグランドは多くの料理を生み出しました。代表的な料理が、シュリンプ・ドリアです。日本人の主食であるごはんに、小海老のクリームをのせ、当時ヨーロッパで人気のあったグラタンソースをかけて焼き上げたもので、人気料理となりました。他にも、ホテルニューグランド発祥のスパゲッティ・ナポリタン、プリンアラモードなどが日本全国で親しまれています。

取材&記事;長谷川路彰

ホテルニューグランド https://www.hotel-newgrand.co.jp/

9月5日第一土曜の工場直売会が行われている日に、丸紀製麺の工場へ取材に行きました。

丸紀製麺は、ブルーラインの新羽駅から、徒歩で約12分のところにあります。 主にうどん・そば・ラーメン・焼きそばを製造・販売しています。 この工場で働いている常務取締役の川口尚紀さんに話を聞きました。

川口さんによると、なんと!!3万食もの麺を1日に作っているそうです。

会社を始めたきっかけは、川口さんの祖父がでんぷん工場を営んでいたことでした。 川口さんのお父さんが、そこで使っていた小麦で何を作れるか考え、麺をつくる工場へと発展させたのだそうです。

僕たちは、工場で麺を作る工程を見せてもらいました。… 続きを読む

スマホケースやイヤホン・充電器などを専門として作っている、仲町台の株式会社PGAを取材しました。PGAは震災の年の2011年に設立された会社です。仲町台に会社を建てた1番の理由は、地盤のしっかりした、災害に強い土地を探し、津波被害もない都筑区が安心だと思ったからだそうです。

PGAは、携帯電話やデジタルオーディオ端末等のアクセサリ販売会社としてスタートした会社ですが、取扱商品は最新のスマートフォン用アクセサリだけではなく、タブレット端末やオーディオプレイヤー、ゲーム機などに対応したアクセサリなど、どんどん開発されています。仲町台の本社では、商品の企画開発、管理などを行い、製品は主に中国の工場でつくっています。

今回、商品部の広報担当、日岐菜津美さん(ひきなつみさん)と商品部・部長の朝山宗信さん(あさやまむねのぶさん)に取材対応いただきました。商品部では、いつも新しい企画を考えているそうで、ジュニア記者が「これからやろうとしている企画は何ですか?」という質問をしたところ、「企業秘密なのですべては教えられないのですが、季節にあった商品、たとえばオフィスや自宅でも使えるUSB加湿器などを考えています」と教えてくれました。

猛暑が続くなか、小さいのに涼しい「ポータブルファン」というミニ扇風機が流行っていますが、その製品もPGAで作っています。現物を見せてもらいました。風量が弱・中・強と変えられ、一回の充電で最大11時間使える、優れものです。他にもiPadで使うペンなども試させてもらいました。

会社に入ってすぐのフロアに、吹き抜けている壁一面にものすごい数の携帯電話のケースが展示されていて、その数に圧倒されました。地元のスポーツチームの応援もしていて、バスケの「横浜ビー・コルセアーズ」野球の「横浜DeNAベイスターズ」などのグッズもありました。シンプルなデザインのものから、ディズニーなどのキャラクターのかわいらしいものまで、ここにあるものだけでも3000種類以上があるそうです。カバーにマグネットがついているタイプのスマホケースは、PGAの特許です。

最後にジュニア記者ひとり一人が気に入ったスマホケース選び、記念撮影をしました。11人全員が違うデザインを選びました。

お店では「Premium Style(プレミアムスタイル)」と書いてあるスマホケースが、PGAの商品です。今度お店で探してみようと思いました。… 続きを読む

都筑区のセンター北にある、横浜市歴史博物館に取材に行きました。博物館は、平成七年(1995年)に開館しました。

博物館には、企画展としておよそ2ヶ月に1回展示物が変わるスペースがあります。その展示物は、いろいろな博物館で借りて、集めた物もあります。展示物を何にするかを決めてから2年ほどかけて準備して、企画展が行われます。今回の企画展では、市役所の新市庁舎を建設していたときに見つかった、関東大震災の頃のお皿やコップ、空き瓶などが展示されていました。

2階には常設の展示室があります。こちらには模型が置いてありますが、スペースがすこし暗いのは、展示物が光に弱いものが多いからだそうです。明るい光を当てると形がくずれやすくなったり、色が変わったりしてしまうからです。

歴史博物館の主な展示物は3万年前から百年前くらいのものです。3万年前と言うと、氷河期です。 そんなに昔のものがあると知ってびっくりしました。

博物館に取材に行くまでは、裏側のことを想像できませんでした。

裏側への入口は、《staff … 続きを読む

今回は、都筑区内でミミズクと暮らしている岩貞さんのお宅をオンライン取材させてもらいました。岩貞さんは、テレビを見ていて、ミミズクを飼ってみたいな〜と思い、インターネットで調べて、卵から予約し、自宅で育てられるようになる2ヶ月弱のときから飼い始めたそうです。名前は「寅」。寅年だったこと、柄が寅に似ていることからつけられました。

家は高台にあり、まちを見下ろせるベランダで飼っています。以前はベランダも囲いをつけずに、アウトドアで使う長いロープを足にくくりつけて飼っていましたが、ときどきかなり遠くまで飛んで行ってしまうこともあったので心配になり、ベランダ全体を小屋に改装しました。 当日は、実際にとらちゃんを間近に見ることができました。取材中は、いつもと違う画面から私たちがのぞいていたからか、緊張して飛んだり鳴いたりしていました。暗くならないと行動しないかと思っていましたが、とらちゃんは明るい中でも元気そうでした。

峯岸里沙さんのレポート

私がいちばん衝撃的だったのは、ミミズクが緊張すると「ワン」と鳴くことです。ミミズクが鳴くかどうかわからなかったので驚きました。ミミズクの餌はうずらの親鳥で、ペットショップに売っているそうです。それをにぎりこぶし1コ〜2コ分くらいあげるということがわかりました。 私が調べたことで、「ミミズクは羽を広げると1,5メートルにもなる」のは本当かどうかを聞いてみました。岩貞さんも一度だけ、とらちゃんが大きな羽を広げて飛んでいるのをみて、その大きさに驚いたそうです。「1.5メートルくらいあったと思う」と言っていました。羽が1.5メートルも広がることがわかり、とても楽しいミミズクの取材でした。  

広瀬文香さんのレポート… 続きを読む

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